2008-10-11
2008-06-15
理由なき、、
もうずっと放置したままでごめんなさい。
どうもモチヴェーションがあがりません。もう最悪ここしばらくは場所があるということだけで許してください。
ホメ関係の情報も、もうネットですら、積極的に集めることもなくなりつつあるので今現在の現状もまったく把握できていません。かろうじて某掲示板を覗いているくらい。いえいえ化学板と物理板ですが……。ここを見てくれる方々も幸いというかなんというか少ないので、だからついつい怠けるのか、むしろ話題をふっていただけたら無人島(情報飢餓状態)から脱出できるかもしれまんねん
これは中里介山の『大菩薩峠』の一節です。『蟹工船』(小林多喜二)が空前のブームらしいということですが、ひねくれ者としてはこっち『大菩薩峠』を強く推したいところです。それは数々のフリークス(遊行の徒)の物語であると同時に、理由なき殺人の物語でもあるわけで、今という時代性と個人的な志向がぴったりくるから、『大菩薩峠』こそ時代がよんでいるにちがいないと思うくらいです。とはいえそう決めつけるのは早計で、主人公の「机龍之介」はその後の時代小説や活動写真におけるヒーロー像(キャラクター)の原形になったし、爛熟期を過ぎたと思われるオタク文化でも今もなお不変、否、普遍さを保ち続けています。
主人公机龍之介は、無性に人を殺したくなる衝動をもった人間です。始めは武士としての力試しという意味もあったことでしょうが、強いとか弱いとか、悪い奴だからとか関係なく、それこそ誰彼構わず殺しまくります。幕末という時代が幸いして公然と殺しができた龍之介は、ある日戦闘で失明します。しかしそれでもなお、無明を彷徨うかのように、人殺しを加速させてゆきます。
そもそもの疑問は、「病気というのは、何が何でも治癒させなければならないものなの?」 或は、「病気は本当に治るものなの?」ということです。
医師も代替治療者もふつう治るなんて簡単にいえません。また医師だろうと医師以外だろうと治るとたやすくいうものほど胡散臭い存在はありません。
これは疑問のまま無明をさまよい続けるしかないのかもしれませんが、病気というものを別の次元で引き受けて解決する(心の内で解決する、或いは解決しない・解決させない)方法もあるのかなと思えてならないというのも確かにありそうです。
どうもモチヴェーションがあがりません。もう最悪ここしばらくは場所があるということだけで許してください。
ホメ関係の情報も、もうネットですら、積極的に集めることもなくなりつつあるので今現在の現状もまったく把握できていません。かろうじて某掲示板を覗いているくらい。いえいえ化学板と物理板ですが……。ここを見てくれる方々も幸いというかなんというか少ないので、だからついつい怠けるのか、むしろ話題をふっていただけたら無人島(情報飢餓状態)から脱出できるかもしれまんねん
「待て待て、その眼を充分に癒(なお)してからにするがよいぞ」
「治るかよ、この眼が」
「治る、信心一つじゃ」
「うむ――」
龍之介は、また黙った。
「しかし、その信心ができぬ。拙者にはこうなるが天罰じゃ、当然の罰で眼がみえなくなったのじゃ、これは憖(なま)じい治さんがよかろうと思う」
これは中里介山の『大菩薩峠』の一節です。『蟹工船』(小林多喜二)が空前のブームらしいということですが、ひねくれ者としてはこっち『大菩薩峠』を強く推したいところです。それは数々のフリークス(遊行の徒)の物語であると同時に、理由なき殺人の物語でもあるわけで、今という時代性と個人的な志向がぴったりくるから、『大菩薩峠』こそ時代がよんでいるにちがいないと思うくらいです。とはいえそう決めつけるのは早計で、主人公の「机龍之介」はその後の時代小説や活動写真におけるヒーロー像(キャラクター)の原形になったし、爛熟期を過ぎたと思われるオタク文化でも今もなお不変、否、普遍さを保ち続けています。
主人公机龍之介は、無性に人を殺したくなる衝動をもった人間です。始めは武士としての力試しという意味もあったことでしょうが、強いとか弱いとか、悪い奴だからとか関係なく、それこそ誰彼構わず殺しまくります。幕末という時代が幸いして公然と殺しができた龍之介は、ある日戦闘で失明します。しかしそれでもなお、無明を彷徨うかのように、人殺しを加速させてゆきます。
そもそもの疑問は、「病気というのは、何が何でも治癒させなければならないものなの?」 或は、「病気は本当に治るものなの?」ということです。
医師も代替治療者もふつう治るなんて簡単にいえません。また医師だろうと医師以外だろうと治るとたやすくいうものほど胡散臭い存在はありません。
これは疑問のまま無明をさまよい続けるしかないのかもしれませんが、病気というものを別の次元で引き受けて解決する(心の内で解決する、或いは解決しない・解決させない)方法もあるのかなと思えてならないというのも確かにありそうです。
2008-04-26
内と外
どこかで耳にしたお話。とある王様が原因不明の大病に罹りました。ただちにお医者さんを呼んで治療に当たらせましたがいつまでたっても良くなりません。とうとう王様は耐えきれずにそのお医者さんを殺してしまいました。ところがその時の怒りがきっかけで王様の病気がすっかり治ったとさ。
怒りや恐れは(喜びや楽しみも)それ自体病気を引き起こす要因になります。また、同じように治癒の要因でもあります。それぞれ個々に、またその時々でいろいろあるわけです。客観性と再現性などという古くさい考えはもはや通用しません。
一年二十四時間途切れることなく快適な温度・湿度に調整された空間があるとします。天候の変化に左右されない一切の不快を取り除いた完璧な環境。それが科学なるものの理想とする世界です。いますよね。「おまえたち(凡人)はおとなしく管理されていればいいんだ」という匂いをまき散らしている時代遅れの事象科学者さん。いえいえ、科学者に限らず、ほとんどの常識的な方々は環境を征服すること、つまりここでいう快適な空間で一年中暮らすこと、を理想としてきたはずです。地球からの反撃と管理されたいかどうかは別として。
人間には、人間に限らずすべての生命には、環境に順応する能力が備わっています。これはおおざっぱにいうと「生きようとする力」、「命を全うしようとする力」ということになります。このブログのテーマ的には、「自然治癒力」とかいってもいいのかな。専門的にはホメオスタシスとでもいうのかな。
文明の利器、現代でいうところの偉大なる科学の力はどうやら「生きようとする力」を別のもので代用させ衰えさせてきたようです。そのことに多くの人が気付きはじめている。気付いているけどそれとこれとの折り合いのつけ方であれこれ迷い立ち尽くしている。
一定の温度・湿度で快適に管理された空間は、快適かもしれない。かもしれないではないですね、間違いなく快適です。しかしこの管理された空間に慣れてしまえばその空間の外で生きることは難しい。麻薬かなにかの中毒になったかのように縋りつくことになるのが関の山だ。人間の順応力、「生きようとする力」はそれなりの負荷がかからなければ作動しない。暑いから暑さに順応するのであり、寒いから寒さのなかで生きようと適応するわけだ。その必要がなければ衰えるいっぽう。そのかわり偉大なる科学様があらせられるのである。なんてね(科学といったけど、その科学を含めた人類の叡智といわないこと気づいてね。)
まるで麻薬中毒者のように科学漬にされた文明生活を強いられた人間(「安全な社会にあることが前提の人間」)がいまここにいるわれわれそのものであるとして、ならばどうするか。はっきりしていることが一つだけだかある。それは自らの命の管理まで奪われたくないということ。これだけは愚かだといわれようと譲れない。永遠の命など科学と科学者がつくりだした幻想、つまり詐欺・ペテンだ。しかし、どう考えてもこの最後のギリギリの自尊心を除いたその他すべては完全にお手上げだろう。どんなに反発しても逃れられるわけがない。せいぜいが限られたなかで反撃を少しづつ試み続けるほかないだろう。
ゲーテの『ファウスト』にホムンクルスの登場する場面がある。何度も何度も失敗をくりかえしてようやく生まれる人工人間なのだが、なぜ成功したかというと、その瞬間たまたま地震がおきたからだという。
ガラスの容器の中でしか生きてゆくことができないホムンクルスは(「自然の物にとっては宇宙といえども広すぎるということはありませんが、人工の物には限られた空間が必要なのです」)ついには自らの力で内側からガラスを破り外に飛び出します。そんな無茶なと思わせますが実はとても身につまされる問題をはらんでいます。
怒りや恐れは(喜びや楽しみも)それ自体病気を引き起こす要因になります。また、同じように治癒の要因でもあります。それぞれ個々に、またその時々でいろいろあるわけです。客観性と再現性などという古くさい考えはもはや通用しません。
一年二十四時間途切れることなく快適な温度・湿度に調整された空間があるとします。天候の変化に左右されない一切の不快を取り除いた完璧な環境。それが科学なるものの理想とする世界です。いますよね。「おまえたち(凡人)はおとなしく管理されていればいいんだ」という匂いをまき散らしている時代遅れの事象科学者さん。いえいえ、科学者に限らず、ほとんどの常識的な方々は環境を征服すること、つまりここでいう快適な空間で一年中暮らすこと、を理想としてきたはずです。地球からの反撃と管理されたいかどうかは別として。
人間には、人間に限らずすべての生命には、環境に順応する能力が備わっています。これはおおざっぱにいうと「生きようとする力」、「命を全うしようとする力」ということになります。このブログのテーマ的には、「自然治癒力」とかいってもいいのかな。専門的にはホメオスタシスとでもいうのかな。
文明の利器、現代でいうところの偉大なる科学の力はどうやら「生きようとする力」を別のもので代用させ衰えさせてきたようです。そのことに多くの人が気付きはじめている。気付いているけどそれとこれとの折り合いのつけ方であれこれ迷い立ち尽くしている。
一定の温度・湿度で快適に管理された空間は、快適かもしれない。かもしれないではないですね、間違いなく快適です。しかしこの管理された空間に慣れてしまえばその空間の外で生きることは難しい。麻薬かなにかの中毒になったかのように縋りつくことになるのが関の山だ。人間の順応力、「生きようとする力」はそれなりの負荷がかからなければ作動しない。暑いから暑さに順応するのであり、寒いから寒さのなかで生きようと適応するわけだ。その必要がなければ衰えるいっぽう。そのかわり偉大なる科学様があらせられるのである。なんてね(科学といったけど、その科学を含めた人類の叡智といわないこと気づいてね。)
まるで麻薬中毒者のように科学漬にされた文明生活を強いられた人間(「安全な社会にあることが前提の人間」)がいまここにいるわれわれそのものであるとして、ならばどうするか。はっきりしていることが一つだけだかある。それは自らの命の管理まで奪われたくないということ。これだけは愚かだといわれようと譲れない。永遠の命など科学と科学者がつくりだした幻想、つまり詐欺・ペテンだ。しかし、どう考えてもこの最後のギリギリの自尊心を除いたその他すべては完全にお手上げだろう。どんなに反発しても逃れられるわけがない。せいぜいが限られたなかで反撃を少しづつ試み続けるほかないだろう。
ゲーテの『ファウスト』にホムンクルスの登場する場面がある。何度も何度も失敗をくりかえしてようやく生まれる人工人間なのだが、なぜ成功したかというと、その瞬間たまたま地震がおきたからだという。
ガラスの容器の中でしか生きてゆくことができないホムンクルスは(「自然の物にとっては宇宙といえども広すぎるということはありませんが、人工の物には限られた空間が必要なのです」)ついには自らの力で内側からガラスを破り外に飛び出します。そんな無茶なと思わせますが実はとても身につまされる問題をはらんでいます。


